奪われる14
ゆうくん
2005年01月05日
3,447
寝室のドアの前に立った美奈子は、ドアノブに手をかけたまましばらく躊躇した。夫婦生活の場である寝室を他人に披露するのは、屈辱と羞恥を感じずにはいられない。
「どうしました?そこが白い壁紙の部屋ですか。早く入りましょうよ」
催促の声が背中越しに聞こえてくる。美奈子は意を決してノブを回した。
ドアを開け、壁のスイッチを押し、明かりを点ける。
「‥‥どうぞ」
安西は美奈子の後ろについて寝室の内部に入った。いよいよ美奈子のプライベート空間の最奥にまで足を踏み入れたのだ。
安西は内心の興奮を押さえることができなかった。新婚夫婦の寝室はどうしても淫靡な空気を漂わせてしまう。まるで夜の営みを覗いているような気分になる。
美奈子に目をやると、顔が耳まで真っ赤になっている。安西とは逆に、夜の営みを覗かれているような気分なのだろう。
内は十畳ほどの広さの洋間だった。やはり目を惹くのはセミダブルのベッドだ。本来は二つあったはずの枕は、雄二が単身赴任して月日が経つので、今は美奈子のものだけが置かれている。
「なんだ、この部屋は寝室だったんですか」
下卑た笑顔の安西が、手にしたカメラのハードケースを床に置きつつ、白々しく声をかけた。
「いや、悪いことをしました。白い壁紙の部屋が寝室だと判っていたら、無理強いしなかったんですがね、どうして言ってくれなかったんです?」
「う‥‥」
美奈子が悔しそうに唇を噛む。
安西は部屋の内部を見回した。壁も天井も白いので、確かに先ほどの客間に比べれば明るい印象の部屋だった。ベッドの他に、ドレッサーやチェストなどが置かれているが、全体的に美奈子の持ち物がほとんどだった。雄二のものは片づけられているのだろう。
ふと、窓際に置かれた大きな姿見が目に留まった。瞬間的に、安西の頭に先日の美奈子の裸身が蘇った。あのとき、美奈子が窓に近づいた瞬間、なぜかその肉体は逆光にならず輝いたのだ。
――なるほど。あのとき、この姿見が天井の蛍光灯の光を反射して美奈子の身体を照らしたんだ。これがなかったら逆光になって真っ暗になったかもしれないな。
安西は“偶然”を神に感謝した。またその姿見を見ているうちに、また別の趣向が頭に浮かんだ。これを使って美奈子により羞恥を与えてやる。
姿見に近づき、持ち上げると、ベッドの近くまで運んでくる。美奈子はそんな安西の行為を不安げに見つめる。
「あの‥‥鏡をどうするんですか?」
「なに、光量不足を少しでも補いたいんですよ。これを近くに置けば天井の電気を反射して少しは明るくなりますからね」
安西はベッドの側面から二メートルくらい離れたところに姿見を運び、鏡にベッドが映るように置いた。それから美奈子を振り返る。
「――さあ、奥さん。始めますかね」
美奈子の身体がビクッと震えたのがわかった。
「‥‥は、はい‥‥」
返事はするものの、表情が強張り、相当緊張しているのが安西にも伝わってきた。
「奥さん、そんなに緊張しないで。ちょっと我慢すればすぐ終わるんですから。
――ここへ来てください」
美奈子は妙に直線的なカクカクした動作で安西の指し示すベッドと姿見に挟まれた狭い空間に移動する。
「じゃあ、鏡に向かって立って。とりあえずその位置から始めますから」
美奈子はベッドを背にして立った。姿見の中に青ざめた自分の全身が映っている。
安西は姿見の横に移動すると、後ろに置いたハードケースを開け、内部から小型のカメラを取り出した。
「このカメラを使いましょう。奥さん、確認してください。フィルムは入っていません」
カメラの蓋を開け、内部を美奈子に示す。確かに空だった。
「確認しましたね?で、一応フィルムは入れていませんが、撮影の雰囲気を出すためにシャッターは切るし、ストロボも発光させますからそのつもりでいてください」
「‥‥わかりました」
本音を言えばシャッターはともかく、フラッシュはいやだった。一瞬とはいえ、あの強烈な光で自分の裸を照らされるのは、強烈な羞恥を感じずにはいられないだろう。
安西はカメラにストロボを装着すると、美奈子に背中を見せ、ハードケースにかがみ込んだ。美奈子ははっと緊張して目を凝らす。こちらの目を盗んでこっそりカメラにフィルムをセットしたら‥‥。
しかし美奈子の危惧は杞憂だったらしい。安西が背を向けていたのはわずか一秒か二秒であった。再び立ち上がって振り返った安西は柔らかい布を手にし、それでカメラのレンズを拭いている。フィルムを装着する余裕などないのは明らかだった。美奈子はほっと安堵の息を漏らす。
レンズを丁寧にぬぐった安西は何度かカメラを構え、ファインダーを覗き込む。満足げな表情を美奈子に投げかける。
「こちらも準備オーケーですよ。じゃあ、いよいよ始めますか」
「ああ‥‥」
哀しげにうめいた美奈子は、震える左右の手をじわりじわりと上げる。ブラウスの一番上のボタンに指をかけた。
――とうとう服を脱がなければならないのね。
片手の指で布を押さえ、もう片方の指でボタンを摘み、ボタンホールに斜めに角度をつける。小さなボタンがするりと穴を抜けようとした、その瞬間。
「奥さん、ちょっと待って」
何を思ったか安西がとめた。美奈子の指の動きも瞬間的に停止する。
「奥さん、私はまだ服を脱いでくれなんて言ってませんよ」
「え‥‥」
「いきなりヌードなんか撮りませんよ。最初は服を着た状態から始めますから」
「そ、そうですか‥‥」
「奥さんは気が早すぎるようだ。ふふふ、それとも奥さんはそんなに裸を見られたいんですかね?」
「ち、違います!」
真っ赤になって美奈子は否定する。言われてみれば確かに自分から服を脱ごうとする必要はなかったのだ。
「まあまあ、冗談ですからそう興奮しないで。――さあ、始めますよ。まずは笑顔になってください」
「笑顔‥‥ですか」
「そう、笑ってください」
美奈子はとても笑える気分ではなかった。が、表情とポーズの協力を約束してしまった以上、できないでは済みそうにない。美奈子は強張る顔の皮膚を無理にくつろげた。
「うーん、もう少しいい笑顔になりませんかね。――この写真くらい」
安西がベッドの脇のサイドテーブルを指差す。
美奈子はギクッと身体を震わせる。サイドテーブルには目覚まし時計や電話の子機に混じって、美奈子と雄二が二人で撮ったスナップ写真が、小型の額に入れられて立てかけてあったのだ。
その中では、にこやかに微笑する雄二が満面の笑みを浮かべた美奈子の肩を抱き寄せている。
――ああ、雄二‥‥。
雄二の写真の前で、これから見ず知らずの中年男に身体の秘密を晒さなければならない。これまで雄二にしか見せたことがない秘密を。
美奈子の胸は雄二に対する罪悪感で激しく痛んだ。哀しみのあまり、笑顔とはほど遠い、今にも泣き出しそうな表情になる。前方の姿見の中で、美奈子の顔がべそをかいたように歪んだ。
が、安西はどこまでも非情であった。
「うん、なかなかいい表情ですよ。女は笑顔もいいが、哀しみの表情もなかなか趣があっていいですね。笑顔よりも泣き顔でいきますか」
カメラを構え、ファインダーを覗き込みながら平然として言う。
美奈子は瞬間、カッとなった。
――なんて酷い男だろう。女が泣きそうになっているのを何とも思わないなんて!こうなったら意地でも笑ってやる!
美奈子は必死に笑顔を作った。
「あらあら、笑っちゃったんですか。ちょっと残念だな。でも――いい笑顔ですよ」
安西はカメラを構え、シャッターを切る。カシャ、という機械音とともに、強烈なフラッシュの光線が美奈子に浴びせられる。それが、一瞬、本当に写真を撮影されているような錯覚に陥らせた。しかし、本当はカメラは空なのだ。
そう思うとどことなく安心する。
安西はもう二回ばかり、シャッターを切り、カメラを下ろした。
「さあ、奥さん。そろそろ服を脱ぎましょうか」
ギクンと新たな戦慄が美奈子の全身を襲った。とうとうこの瞬間が訪れたのだ。
美奈子は先ほど同様、小刻みに震える手をブラウスの一番上のボタンに伸ばした。
しかし――。
「ちょっと待ってください。まだ脱がないで」
再び安西がとめる。ボタンを外すためうつむいた美奈子の顔が不審そうに上を向いた。安西のニヤケ顔と視線があう。
「ふふふ、奥さん。自分で脱いじゃいけない。――私が脱がしてあげますよ」
「えっ?‥‥そ、そんな!」
悲鳴に似た声が発せられた。
「どうしました?そこが白い壁紙の部屋ですか。早く入りましょうよ」
催促の声が背中越しに聞こえてくる。美奈子は意を決してノブを回した。
ドアを開け、壁のスイッチを押し、明かりを点ける。
「‥‥どうぞ」
安西は美奈子の後ろについて寝室の内部に入った。いよいよ美奈子のプライベート空間の最奥にまで足を踏み入れたのだ。
安西は内心の興奮を押さえることができなかった。新婚夫婦の寝室はどうしても淫靡な空気を漂わせてしまう。まるで夜の営みを覗いているような気分になる。
美奈子に目をやると、顔が耳まで真っ赤になっている。安西とは逆に、夜の営みを覗かれているような気分なのだろう。
内は十畳ほどの広さの洋間だった。やはり目を惹くのはセミダブルのベッドだ。本来は二つあったはずの枕は、雄二が単身赴任して月日が経つので、今は美奈子のものだけが置かれている。
「なんだ、この部屋は寝室だったんですか」
下卑た笑顔の安西が、手にしたカメラのハードケースを床に置きつつ、白々しく声をかけた。
「いや、悪いことをしました。白い壁紙の部屋が寝室だと判っていたら、無理強いしなかったんですがね、どうして言ってくれなかったんです?」
「う‥‥」
美奈子が悔しそうに唇を噛む。
安西は部屋の内部を見回した。壁も天井も白いので、確かに先ほどの客間に比べれば明るい印象の部屋だった。ベッドの他に、ドレッサーやチェストなどが置かれているが、全体的に美奈子の持ち物がほとんどだった。雄二のものは片づけられているのだろう。
ふと、窓際に置かれた大きな姿見が目に留まった。瞬間的に、安西の頭に先日の美奈子の裸身が蘇った。あのとき、美奈子が窓に近づいた瞬間、なぜかその肉体は逆光にならず輝いたのだ。
――なるほど。あのとき、この姿見が天井の蛍光灯の光を反射して美奈子の身体を照らしたんだ。これがなかったら逆光になって真っ暗になったかもしれないな。
安西は“偶然”を神に感謝した。またその姿見を見ているうちに、また別の趣向が頭に浮かんだ。これを使って美奈子により羞恥を与えてやる。
姿見に近づき、持ち上げると、ベッドの近くまで運んでくる。美奈子はそんな安西の行為を不安げに見つめる。
「あの‥‥鏡をどうするんですか?」
「なに、光量不足を少しでも補いたいんですよ。これを近くに置けば天井の電気を反射して少しは明るくなりますからね」
安西はベッドの側面から二メートルくらい離れたところに姿見を運び、鏡にベッドが映るように置いた。それから美奈子を振り返る。
「――さあ、奥さん。始めますかね」
美奈子の身体がビクッと震えたのがわかった。
「‥‥は、はい‥‥」
返事はするものの、表情が強張り、相当緊張しているのが安西にも伝わってきた。
「奥さん、そんなに緊張しないで。ちょっと我慢すればすぐ終わるんですから。
――ここへ来てください」
美奈子は妙に直線的なカクカクした動作で安西の指し示すベッドと姿見に挟まれた狭い空間に移動する。
「じゃあ、鏡に向かって立って。とりあえずその位置から始めますから」
美奈子はベッドを背にして立った。姿見の中に青ざめた自分の全身が映っている。
安西は姿見の横に移動すると、後ろに置いたハードケースを開け、内部から小型のカメラを取り出した。
「このカメラを使いましょう。奥さん、確認してください。フィルムは入っていません」
カメラの蓋を開け、内部を美奈子に示す。確かに空だった。
「確認しましたね?で、一応フィルムは入れていませんが、撮影の雰囲気を出すためにシャッターは切るし、ストロボも発光させますからそのつもりでいてください」
「‥‥わかりました」
本音を言えばシャッターはともかく、フラッシュはいやだった。一瞬とはいえ、あの強烈な光で自分の裸を照らされるのは、強烈な羞恥を感じずにはいられないだろう。
安西はカメラにストロボを装着すると、美奈子に背中を見せ、ハードケースにかがみ込んだ。美奈子ははっと緊張して目を凝らす。こちらの目を盗んでこっそりカメラにフィルムをセットしたら‥‥。
しかし美奈子の危惧は杞憂だったらしい。安西が背を向けていたのはわずか一秒か二秒であった。再び立ち上がって振り返った安西は柔らかい布を手にし、それでカメラのレンズを拭いている。フィルムを装着する余裕などないのは明らかだった。美奈子はほっと安堵の息を漏らす。
レンズを丁寧にぬぐった安西は何度かカメラを構え、ファインダーを覗き込む。満足げな表情を美奈子に投げかける。
「こちらも準備オーケーですよ。じゃあ、いよいよ始めますか」
「ああ‥‥」
哀しげにうめいた美奈子は、震える左右の手をじわりじわりと上げる。ブラウスの一番上のボタンに指をかけた。
――とうとう服を脱がなければならないのね。
片手の指で布を押さえ、もう片方の指でボタンを摘み、ボタンホールに斜めに角度をつける。小さなボタンがするりと穴を抜けようとした、その瞬間。
「奥さん、ちょっと待って」
何を思ったか安西がとめた。美奈子の指の動きも瞬間的に停止する。
「奥さん、私はまだ服を脱いでくれなんて言ってませんよ」
「え‥‥」
「いきなりヌードなんか撮りませんよ。最初は服を着た状態から始めますから」
「そ、そうですか‥‥」
「奥さんは気が早すぎるようだ。ふふふ、それとも奥さんはそんなに裸を見られたいんですかね?」
「ち、違います!」
真っ赤になって美奈子は否定する。言われてみれば確かに自分から服を脱ごうとする必要はなかったのだ。
「まあまあ、冗談ですからそう興奮しないで。――さあ、始めますよ。まずは笑顔になってください」
「笑顔‥‥ですか」
「そう、笑ってください」
美奈子はとても笑える気分ではなかった。が、表情とポーズの協力を約束してしまった以上、できないでは済みそうにない。美奈子は強張る顔の皮膚を無理にくつろげた。
「うーん、もう少しいい笑顔になりませんかね。――この写真くらい」
安西がベッドの脇のサイドテーブルを指差す。
美奈子はギクッと身体を震わせる。サイドテーブルには目覚まし時計や電話の子機に混じって、美奈子と雄二が二人で撮ったスナップ写真が、小型の額に入れられて立てかけてあったのだ。
その中では、にこやかに微笑する雄二が満面の笑みを浮かべた美奈子の肩を抱き寄せている。
――ああ、雄二‥‥。
雄二の写真の前で、これから見ず知らずの中年男に身体の秘密を晒さなければならない。これまで雄二にしか見せたことがない秘密を。
美奈子の胸は雄二に対する罪悪感で激しく痛んだ。哀しみのあまり、笑顔とはほど遠い、今にも泣き出しそうな表情になる。前方の姿見の中で、美奈子の顔がべそをかいたように歪んだ。
が、安西はどこまでも非情であった。
「うん、なかなかいい表情ですよ。女は笑顔もいいが、哀しみの表情もなかなか趣があっていいですね。笑顔よりも泣き顔でいきますか」
カメラを構え、ファインダーを覗き込みながら平然として言う。
美奈子は瞬間、カッとなった。
――なんて酷い男だろう。女が泣きそうになっているのを何とも思わないなんて!こうなったら意地でも笑ってやる!
美奈子は必死に笑顔を作った。
「あらあら、笑っちゃったんですか。ちょっと残念だな。でも――いい笑顔ですよ」
安西はカメラを構え、シャッターを切る。カシャ、という機械音とともに、強烈なフラッシュの光線が美奈子に浴びせられる。それが、一瞬、本当に写真を撮影されているような錯覚に陥らせた。しかし、本当はカメラは空なのだ。
そう思うとどことなく安心する。
安西はもう二回ばかり、シャッターを切り、カメラを下ろした。
「さあ、奥さん。そろそろ服を脱ぎましょうか」
ギクンと新たな戦慄が美奈子の全身を襲った。とうとうこの瞬間が訪れたのだ。
美奈子は先ほど同様、小刻みに震える手をブラウスの一番上のボタンに伸ばした。
しかし――。
「ちょっと待ってください。まだ脱がないで」
再び安西がとめる。ボタンを外すためうつむいた美奈子の顔が不審そうに上を向いた。安西のニヤケ顔と視線があう。
「ふふふ、奥さん。自分で脱いじゃいけない。――私が脱がしてあげますよ」
「えっ?‥‥そ、そんな!」
悲鳴に似た声が発せられた。